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2023.01.12 スタッフブログ / なつめ調剤薬局

「90歳の現役ピアニスト」コンサートに行けました

     表題のピアニストの名前は「フジコ・ヘミング(本名:ゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコ)」です。
私は、約15年前、福岡市で初めて彼女のコンサートに行きました(当時は熊本県が職場。九州新幹線に50分乗れば簡単に行けました)。
今から考えれば75歳のフジコ・ヘミングの演奏を聴いていたことになります。
2回目のコンサート会場は高松市(2023.1.3レグザムホール大ホール)でした。
満席状態である約2,000名の聴衆者の一人に私も加われた次第です。
3回以上のCOVID-19ワクチン接種者には入場チケット代金が割引されるという香川県COVID-19施策の対象となるコンサートでもありました。

 なぜ私がフジコ・ヘミングに惹かれるのか改めて考えてみました。
ご存知の方もおられるでしょうが、そうでない方のために彼女の略歴を紹介すると・・・。
フジコ・ヘミングは、60歳を超えてから日本で再デビューを果たし、デビューCDである“奇跡のカンパネラ”がクラッシック音楽としては異例の200万枚を超える大ヒット(現在も記録更新中)。
そのきっかけは、彼女が日本に帰国後の1999年に放送されたNHKのドキュメンタリー番組「フジコ あるピアニストの軌跡」でフジコ・ヘミングが取り上げられ大反響を呼んだことでした。
フジコ・ヘミングは、スエーデン人の画家・建築家である父と、日本人のピアニストである母のもとベルリンで生まれその後日本に帰国。
父は戦時色の濃くなっていく日本から母国スエーデンに強制送還。
その後の父の誘いを断り三人(母・フジコ・弟)で日本に残ることを決めた母は、フジコにピアノのスパルタ教育。
その甲斐あって、フジコは東京芸術大学在学中に新人音楽家の登竜門である日本音楽コンクール(当時はNHK毎日コンクール)に入賞。
大学卒業後は母が留学していたドイツの同じ音楽大学に留学し、ドイツでもその才能を高く認められました。
しかし、不運にもコンサートデビュー直線に風邪をこじらせ、聴力の残っていた左耳の聴力を失いンサートデビューは果たせず(右耳は子ども時代の中耳炎で難聴)。
その後、帰国することなくドイツに留まり、やがて父の母国であるスエーデンのストックホルムに移住。
耳の治療を続けながら音楽学校の教師の資格を得て、ピアノ教師として生活。
依然として金銭的には厳しい状態が続いていたとのことです。
実母が亡くなったのをきっかけに日本に帰国。
亡くなった母の住んでいた家を守りながらピアノ教師としてつつましやかな生活。
友人に紹介された聖路加国際病院(東京都中央区)で患者さんたちを前にしてフジコがピアノ演奏をするボランティア活動等を続けていました。
患者さんの中には癌闘病中の方も多くおられましたが、彼女のピアノを聞いていると、その音色はこの上もなく気持ちが落ち着くし、穏やかな気持ちになれると評判になりました。
そのことが前述のNHKドキュメンタリー番組放送に結び付いたようです。

 フジコ・ヘミングは、CDデビュー以降、収益の多くを慈善団体に寄付するなどの支援活動を続けているそうです。
だからこそ、90歳になるまで続けられたのかもしれません。
長く海外で暮らした彼女には、私にはなじみの薄い“ボランティア”の考え方が身についていたのかも・・・。
身体面・金銭面でも苦労を重ねてきたフジコ・ヘミングはボランティア活動がきっかけで、再度、世に出ました。
そして、有名になったその後の生き方。
そのことが私を引き付ける理由なのかもしれません。

彼女は、自らのエッセイ集の中で『お金がなければないなりの幸せがある。心ひとつで、いつでも幸せになれる。隣の芝生がどうだろうと関係ない』とか『不満はストレスの素だけど、感謝はエネルギーになるのよ。(略)日本には、“(吾・唯)足るを知る”っていう良い言葉があるのにね』とも書いています。
素朴な言い回しですが、説得力があります。

一方、デビューCDである“奇跡のカンパネラ”発売当初からフジコ・ヘミングの演奏には賛否両論があります。
クラッシック音楽の専門家と称する人々からは、フジコ・ヘミングはコンサートではよく音を間違えるし、フジコ・ヘミングの代表曲ともいえるラ・カンパネラは作曲者であるリストの楽譜からはかけ離れた演奏であり、下手なピアニストだとの主張です。
楽譜通り正確に弾いている動画が何本か動画サイトに投稿されたほどです。
本来はピアノ練習曲として作曲され楽譜通り正確に弾いているラ・カンパネラの動画は、聞いている私にはつまらなく聞こえました。
しかし、フジコ・ヘミングの弾くラ・カンパネラは全く別物でした。
弾く人が違えばこんなにも曲(音)の印象が変わるのだと感じました。
その後フジコ・ヘミングの演奏を批判した動画がどうなっているのかは調べてはいませんが・・・。
「楽譜通りに正確に弾くのが演奏」という信念・価値観を持つ人々にとっては、フジコ・ヘミングの演奏は受け入れ難いのかもしれません。
自分の立ち位置(信念・価値観)次第で、自分が見える景色は当然のことながら変わってくるでしょうから。

 さて、福岡市のコンサートから約15年経ち、高松市で開催されると知り慌てて申し込んだコンサート。
今回はNHK交響楽団との共演でしたので、彼女自身の演奏は6曲程度でした。
やはり90歳ですので、最初は素人の私から見ても、大丈夫かな・・と思いました。
しかし演奏が進むにつれ演奏に引き込まれるようになり、周囲では涙をぬぐう人が何人も出るほどでした。
90歳の現役ピアニストの演奏を聴き、なぜ涙をぬぐっていたのか。
その理由は、皆それぞれでしょうが、その人の心を動かしたことは紛れもない事実だと思います。

ピアニストは薬剤師(今の私の生業)のような国家資格ではありません。
国家試験に合格し、薬剤師免許証があれば、その免許証を使って職を得ることもできます。
しかし、ピアニストの世界はピアノを楽譜通り正確に演奏できるだけで生業として生活していくのは難しいのでしょう(コンサートチケットが売れなければどうにもならない厳しい世界)。
ですから、演奏活動だけで生計を立てられるピアニストは限られているのだと思います。

今回、90歳という高齢でも聴衆に感動を与えられる人がいることを改めて体験することができました。
翻って、私はどうか・・・。
感動は無理でも、せめて『あなたと話せてよかった』と、患者さんから思ってもらえるようになりたいものだと思った次第です。